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2006-08-29

朱鷺メッセ連絡橋

朱鷺メッセ連絡橋崩壊
青森県美の旅はこちら


朱鷺メッセ連絡橋 2003年8月26日20時20分
 朱鷺メッセ連絡橋は轟音とともに崩れ落ちました。
 写真は崩壊した連絡橋と同形の連絡橋。

朱鷺メッセ連絡橋

朱鷺メッセと佐渡汽船駐車場を結ぶ連絡橋が
何の前触れも無く自然落下しました。


事故当時、橋を利用している人はおらず幸いにも人災は起きませんでしたが、
建築界には大きな波紋が広がりました。

連絡橋は佐渡汽船(佐渡島へ渡るフェリー乗り場)と立体駐車場、
そして朱鷺メッセを結ぶ5スパンの橋で構成されていますが、
崩れ落ちたのはその内の1スパンのみ。

この1スパンは施工中、1年と8ヶ月手付かずだったいわくつきの連絡橋であり
原因もほぼ特定されていますが(構造設計集団SDGの上弦材鉄骨破断説が有力)、
私が何よりも注目と言うか、この問題に関しては
決して風化させてはいけないと考えている事があります。

それは正しい事を正しいと言わない、その隠蔽しようとする社会の流れ。


現在も構造設計のSDGと新潟県側で話し合いは続いているようなのですが、
新潟県当局側の対応については理解できないところがあり、
正直いえば誠意が感じられません。

①要求した工期が11月から3月の厳冬期
②事故直後の現存する4スパン連絡橋の原因究明実験もせずに撤去へと動く
③設計ミスと指摘しながら、施工会社を訴えるその本質とは?
④新潟県側の調査委員会による根拠の無い原因説明と
 その直後の解散、一連の責任感の無い対応

④に関しては社会全体で考えていくべきテーマだと思います。

調査委員会は当然第三者から構成されますが、
今回の調査委員会はあくまで新潟県側で集められた学者の方々で、
その第三者の信憑性も疑わしく、根も葉もない原因を説明するや否やそそくさと解散し、
全くもって調査委員会としての役割を果たしていない。

「独り善がりが決定的にまずく、地元優先の設計監理体制に最後まで気が付かなかった。」
とSDG代表の渡辺氏は語っています。


今回の事故は明らかに監理体制の不備にあります。
もはやリング上だけの闘いではなく、今こそ観客も立ち上がらなければなりません。
そうでもしない限り社会は変わりません。


とかく人は自分の立場を守るべく他のフィールドへと視野を広げない。

新潟県当局の誠意ある対応こそ、真の原因究明に繋がる事は言うまでもありません。


朱鷺メッセでの悲しい事故。
悲しみをバネに飛躍して欲しいと心から願います。
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自己紹介

アリ

Author:アリ
都内にて建設業に携わる。
建築巡礼からいつしか風景へと・・・
経費削減の為、自転車で移動

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