2008-01-13
チェ・ゲバラ
「方法 行き当たりばったり」
私が自転車の旅をするきっかけとなったのは、ある人物との出会いでした。
エルネスト・チェ・ゲバラ
彼は今日世界でも日本でもよく知られている人物のうちの一人です。
亡命中のフィデル・カストロに共感し、キューバ革命の指導者として立ち上がりました。
彼の思想を繙くのに、その重要な位置づけを成すのが学生時代の南米縦断の旅。
友人アルベルト・グラナードと共に中古のオートバイ(ボデローサⅡ号)にまたがり、
お金をほとんど持たず、オートバイが動かなくなってからは、
ヒッチハイクや、時には密航したりとまさに行き当たりばったりの旅でした。
ゲバラは読書家であり、旅先で図書館に訪れては
その地の知識を深める事もあったと言います。
しかしながら彼にとっては、もはや旅をするという事が、学ぶという事でした。
彼が旅先で見たもの、経験したものすべてが、
後の彼を形成する材料となった事は言うまでもありません。
「最初は学生として、後には医者として旅をしたわけだが、
そんな中で極めて身近に接するようになったのは
貧困や飢えや病気や、手の打ちようが無くて子供を治療してやれないような状況や
飢えや次々に襲いかかる苦しみで感覚が麻痺してしまって、
親にとっても子を失うなどどうという事のない出来事となってしまうような状況だった。
そんな状況は我々の故郷である米州諸国の打ちのめされた階層では日常茶飯事の事だ。
そのとき私は、有名な研究家になるとか、医学の世界で重要な業績を残すとか
と同じくらい大切な何かがある、という事に気づき始めた。
それは、そういう人々の力になるということだった。」
人によって”見る”という行為は十人十色です。
見たつもりでもそれらすべての核心を掴んでいない事がよくあります。
学ぶ事により、今まで見えていなかった視界が広がり、
時には360°の画角が見るものを苦しめたりもします。
私の旅はまだ好奇心の延長線上ですが、
その先にある豊かな人間性を求めて、旅はまだまだ続くのだろうと思います。
私が自転車の旅をするきっかけとなったのは、ある人物との出会いでした。
エルネスト・チェ・ゲバラ
彼は今日世界でも日本でもよく知られている人物のうちの一人です。
亡命中のフィデル・カストロに共感し、キューバ革命の指導者として立ち上がりました。
彼の思想を繙くのに、その重要な位置づけを成すのが学生時代の南米縦断の旅。
友人アルベルト・グラナードと共に中古のオートバイ(ボデローサⅡ号)にまたがり、
お金をほとんど持たず、オートバイが動かなくなってからは、
ヒッチハイクや、時には密航したりとまさに行き当たりばったりの旅でした。
ゲバラは読書家であり、旅先で図書館に訪れては
その地の知識を深める事もあったと言います。
しかしながら彼にとっては、もはや旅をするという事が、学ぶという事でした。
彼が旅先で見たもの、経験したものすべてが、
後の彼を形成する材料となった事は言うまでもありません。
「最初は学生として、後には医者として旅をしたわけだが、
そんな中で極めて身近に接するようになったのは
貧困や飢えや病気や、手の打ちようが無くて子供を治療してやれないような状況や
飢えや次々に襲いかかる苦しみで感覚が麻痺してしまって、
親にとっても子を失うなどどうという事のない出来事となってしまうような状況だった。
そんな状況は我々の故郷である米州諸国の打ちのめされた階層では日常茶飯事の事だ。
そのとき私は、有名な研究家になるとか、医学の世界で重要な業績を残すとか
と同じくらい大切な何かがある、という事に気づき始めた。
それは、そういう人々の力になるということだった。」
人によって”見る”という行為は十人十色です。
見たつもりでもそれらすべての核心を掴んでいない事がよくあります。
学ぶ事により、今まで見えていなかった視界が広がり、
時には360°の画角が見るものを苦しめたりもします。
私の旅はまだ好奇心の延長線上ですが、
その先にある豊かな人間性を求めて、旅はまだまだ続くのだろうと思います。
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