2008-02-06
ヒルサイドテラス -hillside terrace-
槇文彦との出会い
話は大学一年に遡ります。
私が建築の”け”の字も知らない時期に院生に連れられて見た建築。
それは建築家 槇文彦の一連の作品・・
ヒルサイドテラスから始まり、スパイラル、テピア・・・
最後に院生は仰っていました。
「だいたい感じてもらえたと思うけど、これが槇文彦建築なんだよ。」
?
「はぁ。」
正直言うと、この一連の建築に秀でたものを感じず、
有名な建築家の作品のわりには至って普通。
当時は奇抜さが建築界を席捲しているものとばかり思っていましたから、
とりわけそれほど深く印象には残っていませんでした。
強いて言えば、なぜ院生は、この作品を紹介してくださったのか・・・

その後、様々な建築に触れ、自分なりに以前よりは咀嚼できたように思います・・・
(まだまだですが・・・)
ヒルサイドテラスは槇文彦という一人の建築家によって、
30年もの歳月をかけて部分部分を、その時々の時代背景を投射しながら作り上げ、
今の『ヒルサイドテラス』という風景を生み出しました。
この風景は旧山手通り沿いに位置し、東京代官山の先駆け的建築です。
店舗を兼ねた集合住宅。
ヒルサイドテラス建築工期は6期に渡り、建物もA-G棟に分節されています。
さらにはデンマーク大使館、ヒルサイドウェストも周辺に呼び寄せ、
『東京』という大々的に建築革新が行われる現代に、緩やかに景観を作り出しました。
現代建築であるにも関わらず、
建築随所に日本人が古来から大切にし続けてきた精神が存在します。
現代建築に街並みとしての要素がふんだんに組み込まれています。
言葉で並べてしまえば、
風景の余韻を楽しむコーナーエントランスの『隅入り』、
視認性、独立性を高めた『円柱』、
伝統的な美学の『空間の奥性』、
建物の分節化とセットバック、そして微地形を取り込む『スケール』・・・etc
言葉で並べてしまえば霧がないほど様々な要素が散りばめられていますが、
ようするに隠れ処でありながら、無限に広がる空間性・・。
体で感じる流れ。
30年を掛けて緩やかに変化し続けてきたヒルサイドテラス。
その歳月とともに樹木も緩やかに成長し、
今では旧山手通りの風景として馴染みます。
流動性の高い社会のなかで都市風景を創造する。
空間を味わいながら、街並みの大切さを我々に問いかけている。
ヒルサイドテラスは代官山に存在します。
緩やかに成長し続けながら・・
内なる視座
建築を外から眺め感じるとき、その視点は外にある。
建築形態の形式性を重要視する視座は常に建築の外にある。
なぜならば内側から評価する視点を意識的に除去することによってはじめて
形式を理性の問題として把握し得るからである。
私はこれまで多くの名跡と称される古典の神殿や仏閣を見てきた。
しかし、外からの姿に感動しても、中に入ったときに同じ感動を与えないというよりも、
むしろ失望を感じるものも少なくなかった。
ローマのパンテオンですらそうであった。
一方古いロマネスクの教会やゴシックの教会には中に入って
改めて新しい感動を与えたのは枚挙に暇がない。

それはおそらく、人々が神を崇める視座がそのまま内なる空間の中に
確立しているからに他ならない。
日本の仏閣にはそうした感動を与えるものが少ない。
人々が仏に抱く感情を空間化しようとする意図が少ないからであろう。
しかし一方、私は西洋のバロック的な庭園にはあまり興味がない。
そこには外から庭園を見渡す視座はあっても内なる視座が欠落しているからだ。
そして今批判した日本の仏跡の庭園に何と素晴らしいものが多いことだろうか。
バロックの庭園と異なって、移動する視点によって変化し、
重畳として連続的に空間印象を与えるものが少なくない。

そこには自己と庭園との間に、体感が生まれる感激がある。
文化とは突き詰めれば、ある事象に対する関心、すなわち意図性の強弱が作りだしたものを指すのだ。
私はどちらかといえば、建築はまず豊かな空間を内包したものでありたいという姿勢から出発する。
そこから建築の形態が導き出されることはあっても、空間の質を犠牲にしてまで
ある形態の実現を推し進めることはほとんどない。
奥性
欧州の古い都市、とりわけ規模の小さい町を訪れたのは誰もがすぐに気づくことであるが、
そのほぼ真ん中の部分に教会、市役所等が最も重要な、しかもボリュームのある濃密な建築群を形成している。

日本の城下町のように他の建物と隔絶することなく、市民の日常生活の中に地区として溶け込みながら、
しかし厳然と自己の存在を主張し、他を睥睨している。
山の頂にでなく、、山の奥に原点を見る思想の相違がはっきりとあらわれている。
だから西洋において、中心思想が都市に、寺院に、塔に反復されたように。
我が国では山が古墳に、庭園に反復されながら、それは常に中心性ではなく、
奥性を照射することになる。
「ヒルサイドテラスの世界」は過去30年以上にわたってこれらの建築群と
それを取り巻く代官山周辺の移り変わりを辿った報告であり、
一つの記録である。
話は大学一年に遡ります。
私が建築の”け”の字も知らない時期に院生に連れられて見た建築。
それは建築家 槇文彦の一連の作品・・
ヒルサイドテラスから始まり、スパイラル、テピア・・・
最後に院生は仰っていました。
「だいたい感じてもらえたと思うけど、これが槇文彦建築なんだよ。」
?
「はぁ。」
正直言うと、この一連の建築に秀でたものを感じず、
有名な建築家の作品のわりには至って普通。
当時は奇抜さが建築界を席捲しているものとばかり思っていましたから、
とりわけそれほど深く印象には残っていませんでした。
強いて言えば、なぜ院生は、この作品を紹介してくださったのか・・・



その後、様々な建築に触れ、自分なりに以前よりは咀嚼できたように思います・・・
(まだまだですが・・・)
ヒルサイドテラスは槇文彦という一人の建築家によって、
30年もの歳月をかけて部分部分を、その時々の時代背景を投射しながら作り上げ、
今の『ヒルサイドテラス』という風景を生み出しました。
この風景は旧山手通り沿いに位置し、東京代官山の先駆け的建築です。
店舗を兼ねた集合住宅。
ヒルサイドテラス建築工期は6期に渡り、建物もA-G棟に分節されています。
さらにはデンマーク大使館、ヒルサイドウェストも周辺に呼び寄せ、
『東京』という大々的に建築革新が行われる現代に、緩やかに景観を作り出しました。
現代建築であるにも関わらず、
建築随所に日本人が古来から大切にし続けてきた精神が存在します。
現代建築に街並みとしての要素がふんだんに組み込まれています。
言葉で並べてしまえば、
風景の余韻を楽しむコーナーエントランスの『隅入り』、
視認性、独立性を高めた『円柱』、
伝統的な美学の『空間の奥性』、
建物の分節化とセットバック、そして微地形を取り込む『スケール』・・・etc
言葉で並べてしまえば霧がないほど様々な要素が散りばめられていますが、
ようするに隠れ処でありながら、無限に広がる空間性・・。
体で感じる流れ。
30年を掛けて緩やかに変化し続けてきたヒルサイドテラス。
その歳月とともに樹木も緩やかに成長し、
今では旧山手通りの風景として馴染みます。
流動性の高い社会のなかで都市風景を創造する。
空間を味わいながら、街並みの大切さを我々に問いかけている。
ヒルサイドテラスは代官山に存在します。
緩やかに成長し続けながら・・
内なる視座
建築を外から眺め感じるとき、その視点は外にある。
建築形態の形式性を重要視する視座は常に建築の外にある。
なぜならば内側から評価する視点を意識的に除去することによってはじめて
形式を理性の問題として把握し得るからである。
私はこれまで多くの名跡と称される古典の神殿や仏閣を見てきた。
しかし、外からの姿に感動しても、中に入ったときに同じ感動を与えないというよりも、
むしろ失望を感じるものも少なくなかった。
ローマのパンテオンですらそうであった。
一方古いロマネスクの教会やゴシックの教会には中に入って
改めて新しい感動を与えたのは枚挙に暇がない。

それはおそらく、人々が神を崇める視座がそのまま内なる空間の中に
確立しているからに他ならない。
日本の仏閣にはそうした感動を与えるものが少ない。
人々が仏に抱く感情を空間化しようとする意図が少ないからであろう。
しかし一方、私は西洋のバロック的な庭園にはあまり興味がない。
そこには外から庭園を見渡す視座はあっても内なる視座が欠落しているからだ。
そして今批判した日本の仏跡の庭園に何と素晴らしいものが多いことだろうか。
バロックの庭園と異なって、移動する視点によって変化し、
重畳として連続的に空間印象を与えるものが少なくない。


そこには自己と庭園との間に、体感が生まれる感激がある。
文化とは突き詰めれば、ある事象に対する関心、すなわち意図性の強弱が作りだしたものを指すのだ。
私はどちらかといえば、建築はまず豊かな空間を内包したものでありたいという姿勢から出発する。
そこから建築の形態が導き出されることはあっても、空間の質を犠牲にしてまで
ある形態の実現を推し進めることはほとんどない。
奥性
欧州の古い都市、とりわけ規模の小さい町を訪れたのは誰もがすぐに気づくことであるが、
そのほぼ真ん中の部分に教会、市役所等が最も重要な、しかもボリュームのある濃密な建築群を形成している。

日本の城下町のように他の建物と隔絶することなく、市民の日常生活の中に地区として溶け込みながら、
しかし厳然と自己の存在を主張し、他を睥睨している。
山の頂にでなく、、山の奥に原点を見る思想の相違がはっきりとあらわれている。
だから西洋において、中心思想が都市に、寺院に、塔に反復されたように。
我が国では山が古墳に、庭園に反復されながら、それは常に中心性ではなく、
奥性を照射することになる。
「ヒルサイドテラスの世界」は過去30年以上にわたってこれらの建築群と
それを取り巻く代官山周辺の移り変わりを辿った報告であり、
一つの記録である。
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